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始めに(当事務所が企業側労働法務を行う基本姿勢)
今回掲載するコラムは元々3回に区分して記載したのですが、3回に分けるほうが読みにくいことが分かりました。我が事務所の労働事件に対する関わり方・姿勢についても示しております。
3回に区分した題だけでも以下に示し、何を書きたかったかを先ずお知らせしようと思います。当事務所の若い先生方の指針ともなる重要な内容を持つものですから、私のコラムに関心をお持ちの方は本編を是非ともお読みいただきたいと思っております。
第1 日本の労使問題は社会主義化しているのか?
第2 労働法制の歴史
第3 労働事件に関する当事務所のあり方・関わり方
第1 日本の労使問題は社会主義化しているのか?
1 有名弁護士の言葉
企業による人気投票で超有名な弁護士が、日本の解雇問題にふれ、「中国よりも日本のほうが実質的には社会主義ですね」と指摘し、直ぐ続いて、中国での冗談として「日本人と付き合うと、おまえ、社会主義者になっちゃうよ」と書かれている本を読みました。その本では面白おかしくインタビューに応じている様子が記載されていました。
皮肉をこめて批評するなら、彼の分析はきちんと事実認識はしているが、しかし歪んだ分析力であると言わざるを得ません(有名弁護士は「冗談です」と言われるかもしれませんが、それでは出版物の内容から判断しても演出過剰でしょう)。
これまで当コラムで記載しましたように、解雇の有効性を裁判所に認めさせることが本当に難しいという事実を述べているだけなら、それは一面では正しい経験に基づいた分析力ではあります。しかし我が国の労働法制は「社会主義」だと直ちに認定されるべきものなのでしょうか。かかる認定は基本的な姿勢に問題があるのです。
本コラムでも、そろそろ我が国の労働法制がどのように考えられて立法され、今日、労働実態の激変と国民の認識によってどのように変化してきたのか。或いは、立法当時の基本的な認識と根本的に異なった別途の考え方で労働法制に対峙する時期にきているのか。そして変遷があったとする提言があるなら、それはどのような理由に基づいているのか。
これらを考察する時期に来ております。
端的にいうなら、これらは、今、検討途上にあると言えるでしょう。しかし、ここでは学者の世界に入って、その論拠を検証しようという訳ではありません。コラムなのですから、その難しさだけでも感じていただければよいと思っております。これから書きます当コラムは多少理屈っぽくなりますが、労働法の立脚点を知るには重要です。興味のある方はどうか最後までお付き合いください。
2 労働法の基本的な考え方
私が司法試験を志した当時の労働法教科書には社会主義運動の「アジびら」のような内容が記載されております。これを読まれるなら皆さん驚かれると思います。
長いですが象徴的ですのでその一部を紹介しましょう。
「ところが現実についてみると、労働者は被搾取階級であり、被支配階級である。生産手段をもたない労働者は総体としての資本から自由には生活できない。労働者は商品の生産を資本のもとでしかおこなうことはできない。しかも生産物は労働しない資本所有者の生産物(商品)となる。だから労働力の生産性は資本の生産性として現象する。このような労働者の資本制生産社会における地位は資本に従属的なものというほかはない。そして、かかる階級的な従属は個別的な労使関係における交渉力の不平等としてあらわれるし、また生産過程においては生産手段の所有者の指揮・命令と労働者の服従として形をとる。工場が有機的構成を高めるほど、労働者は工場という組織体に従属するようにもみえる。本質的には資本への従属である。」(労働法要説改訂版沼田稲次郎著5頁)。
上記労働法の骨子は「従属労働概念」という言葉で要約できると思います。
3 私の初心
大学卒業後、相当経ってからこの教科書に出会いました。こんな本当のことを司法試験で書いてよいのかと疑心暗疑になったことを記憶しております。本当のことを堂々と主張できるのなら本気で労働法を勉強することも悪くないと考えるようになりました。28歳ころまでアルバイト中心の生活で、組合活動を支援したり、不動産会社に勤めたこともありました。精神的には、「モラトリアム」気分で勉強を口実に気ままな生活をしておりました。言葉だけでなく、強く司法試験受験の決意ができたのはこの教科書のおかげだと思っております。青春といわれる時期の終末、30歳で結婚し、その女房には私の我が儘を理解してもらい、本当に世話になりました。
4 司法試験での経験
急激な社会の変化や国民意識の変化に伴い、今、司法試験で「従属労働概念」をストレートに使って論文を提出したら合格できないでしょうね。少なくとも、現在の複雑な労働問題に直面していない回答だと誤解されるでしょう。
でも本当は私が受験した当時でも、こんな言葉が出てきたら不合格だったと今は考えております。多分論文に合格した年度の出題はこのような概念と無関係に回答できたのでしょうね。申し訳ないが、私は、モラトリアム時代から、司法試験出題者も、採点する先生方も、良くも悪くもこの程度でしかないと判断しておりました。
5 現在は労働法の曲がり角か?
結論から述べますが、急激な社会変化に伴い、労働法制を考えるに際しても、従属労働概念に手当ては当然に必要になってきております。社会の多様性や複雑性に伴い、集団的・一律的な労働者としての把握を、「個人主義的な労働者像」として把握するべきであるという労働概念を提起される学者もいます。この考え方からすると集団的労使関係即ち組合活動の解釈は相当変化せざるを得ないでしょうね。
しかし私は、社会の基本構造までは変わっていないと判断しております。確かに労働者派遣法や近時制定された労働契約法等の分析なくして労働紛争を解決することは困難な時代になってきました。労働組合の使用者に対する対決概念だけでは現在の労使関係を考察することは困難な側面も出てきました。個別的な労働形態の発生や、現象面としての組合の組織率の低迷だけからでも直ぐ理解できることです。
では新しい労使哲学が生まれているのでしょうか? 否です。
結論から言いますが、日本の労使問題即ち労働法制が社会主義化しているかとの問いかけは誤りです。
第2 労働法制の歴史
1 労働法制は破綻したか?
我が国の労働法制度は決して破綻などしておりません。
確かに現代社会の変遷は、我々の予期の範囲を超えるものです。私は、社会激変の今日でも、労働者は法律的に使用者と契約当事者対等概念を適用する程には成熟しておらず、労働法の基本概念を廃棄する程までの社会変化には達していないと考えております。確かに従属労働などと「アジびら」のような概念を使わなくても消費者保護や高齢者保護と同じ感覚で再度労働者の不平等を手当てすればよいとも言えましょう。しかし果たして、それで労使関係の「根っこ」を捕まえられるのでしょうか?
非正規労働者が労働者の占める割合39パーセントに達したという厚生労働省の2010年度調査の発表をみるだけでも労働法の根本理念に変化があったなどと主張することはできないと思います。
2 社会主義とは?
私は、労働法を考えるに際しても、諸外国の政治制度の変遷、特に社会主義制度の国々の幻滅的なまでの失敗或いは我が国の政治理念を振り返るべきであると思っております。そして大多数を占める国民の認識にたつなら、憲法の理念にいささかの揺るぎも発見できないと確信しております。憲法の規定については既に当コラムで触れているところです。
私は、社会主義制度の国々に憧れ組合活動にも参加したことは前に述べました。学生時代には資本論を読むべく努力し、座右の書はその総纏めだと言われる「ドイツ・イデオロギー」でした。40年以上前ですが、繰り返しマルクス・エンゲルス共著のこの本を読んだ記憶があります。
私のモラトリアム時代、カンボジアの大量殺戮に呆れ、国民を蔑ろにする中国の共産主義に怒りを感じ、ソ連崩壊等を経ていつの間にか人間の欲は社会主義の理想よりすさまじいものがある、共産主義は夢であり、その到達過程には人間の欲が待っていると思い知るようになりました。
私の思想的な変遷は複雑ですが、根は「一般庶民・人間を大切にしろよ」というものでした。「社会主義でも理想は実現できないというより、現実の社会主義は資本主義よりもっとひどい」ということだったと思います。
3 我が国の国家制度
社会主義或いは共産圏国家に絶望しても、現在の国家制度のあり方についてはよく分からなかった時代が長かった。ケインズの「修正資本主義」或いはフリードマンの「新自由主義」もこの頃知ったのだと思います。
政府の市場への介入を主張したケインズの世界恐慌克服論或いはフリードマンの自由市場主義論に淡い期待を抱きながら、資本主義体制の修正或いは手当をどのようにするのかという経済論に関心を寄せたこともありました。
でもフリードマン信奉者である小泉さんには、自らの弁護士業務に関係するだけに、直ちに滅茶苦茶に幻滅しましたね。フリードマンの主張する「政府は小さいほうが良い」との主張には新鮮さを感じていましたが、「医師の免許制は悪しき制度であり、国民の自由を制限するもの」と主張していると知った時から懐疑的になりました。そして「弁護士資格も自動車の運転免許と同じにしよう」という新自由主義信奉学者が法制審議会に参加していることを知り、現在の改革されつつある司法制度に絶望しました。この新自由主義の論拠には、ケインズですら言う「我々が生活している経済社会の際立った欠陥は、完全雇用を与えられないこと、富と所得の分配が恣意的で不公平であること」という人間の欲への基本認識がないことに根本的欠落があると考えております。私が司法の一翼を担う弁護士であるが故に、フリードマンの限界は肌で触れるように直ちに理解できました。
これからの司法制度のあり方が本当に心配です。
4 労働法制のあり方
当初述べました企業による人気投票で超有名な弁護士の話が、日本の文化或いは労働法制あり方から論じていれば私は納得したでしょうが、「中国よりも日本のほうが実質的には社会主義です」と何を根拠に言っているのか「あほらしくなる」と言うのが私の真意です。
労働法制の理念は憲法に規定されたとおりであり、法制度は、我が国の文化のあり方、即ち労働社会の複雑さに対応して手当を繰り返してきました。生きる庶民の労働力という商品、労務提供契約に規制があるのは人間の限りない欲に対する規制なのです。修正資本主義という用語を使用してよければ、手直しを加える労働法制に何の問題があるのでしょうか?
かつて総理大臣であった管首相の「最小不幸社会」は理念としては絶対に正しいと思っております。残念なのはケインズ理論で確立された「乗数効果」すらも知らなかった「勉強不足」に、首相としての資質を問うべきでしょうね。
5 世界的な労働法制
そもそも世界的にみても日本の労働法制が社会主義化しているなどと誰も言いません。
アメリカにおける雇用の自由市場を前提にした労働法制もあれば(解雇が比較的に容易に認められる)、或いはフランスのように日本と同じように厳しい法規制を課している国もあります。労働市場のあり方等に影響されて労働法制はその国によって様々なのです。
失業率に喘ぐオバマ大統領をみるなら、アメリカの労働法制が成功しているなどとは誰も言わないでしょう。それに引き換えフランスの厳しい労働規制を社会主義化したなどとは誰も言いません。中国での「人治国家」より先進国の「法治国家」が最小不幸社会の防止に寄与していることは真面目に労働法制を勉強する者なら直ちに理解しうることです。
超有名弁護士の言など「世迷いごと」のたぐいなのです。
第3 労働事件に関する当事務所のあり方・関わり方
1 企業側労働法務
揺れ動く社会の変遷のなかで、私はこれまで触れ合う方々との人間関係を大切にして弁護士業務を行ってきました。数え切れない方々とお付き合いさせていただきました。その中から顧問を依頼され、今では立派に上場される企業まで出てきております。こんな幸福な弁護士稼業があるでしょうか。
人間的な深まりのなかで、必然的に労働事件も依頼されるようになりました。たまたま企業の方々との付き合いが中心でしたので企業側の労働法務に精通するようになりました。企業側の労働法務が中心になっていることに所長である私は、自分の生き様と何の矛盾も感じておりません。
2 当事務所の課題
労働法は管さんのいう「最小不幸社会を目指して」労働者のための規制を設けております。我々弁護士はこのような労働法に従って双方の立場に立って自己実現に向けて頑張るだけなのです。我々は、法適用場面における紛争解決のために要求される職人でしかありません。正義は双方にあります(「正義」というより、「理由のある自己主張」といったほうが私には馴染む)。企業側であっても、その労働法制の規制の中で、全力を尽くすことで我々の業務は貫徹されたことになります。
国民が司法に要求するものは、立場が違えどもその立場において当該立場の依頼者のために全力を尽くす弁護士こそ求めておられるのではないでしょうか。
法制度はこのように運用されるべきなのですから、当事務所は企業側であることに何の躊躇いもありません。それこそが司法という制度において一方の立場にたつ弁護士に課された責務だからです。
3 最後に
考えて見ますと、今回のコラムは当事務所所属弁護士に向けてのプレゼンテーションのようにも思えます。
私は、当事務所所属弁護士に向けて次のように宣言します。
『当事務所全員は、司法の一翼を担うという名誉ある立場を誇りにし、依頼者のために全力を挙げて頑張ります。』
以 上