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裁判員裁判(その6 推定無罪と裁判員裁判の纏め)

カテゴリ : 
裁判員裁判

一   O.J.シンプソン裁判

1.     刑事事件と民事事件で異なった結論

(1)   アメリカ、ロスアンジェルスやサンフランシスコに行き、O.J.シンプソン裁判を視察しようとしたことは前回話しました。
 この事件を例にして、分かりにくい「無罪推定原則」について説明しましょう。「推定無罪」という本も出版されていますし、同名の映画もあるくらいですが、何だろうなと思われていてはいけません。
 当コラムでも当たり前のように使ってきた言葉ですから。

(2)   OJ.シンプソンは、刑事事件では「世紀の裁判」によって無罪になりました。しかし残念ながら民事裁判では殺人を認定する判決が出て、遺族に対して損害賠償することになりました。
 OJ.シンプソンは刑事事件では弁護団「ドリームチーム」に依頼し、5億円は払ったと言われております。しかし本を出版したりして大分稼ぎ返したそうですが、民事事件では弁護団「ドリームチーム」に支払うお金を倹約し別の弁護士に依頼したと言われております。でも民事事件で8億円以上のお金を支払ったのでは割に合いません。
 二つの結論に違和感をもたれませんか?
 二つの結論の違いは、無罪推定原則があるからと言ってよいでしょう。もっとも法理論ではなく、刑事裁判では有色人の陪審員で占められていたこと、民事では白人の陪審員が多かったことの差異であるなどという論評もありますが。

2.     「推定無罪」とは

(1)   「推定無罪」とは、有罪と認定されるまでは無罪と推定されるという近代法の原則を言うとされています。刑事訴訟法第336条「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言い渡しをしなければならない」という条文も同様の趣旨であります。
 つまり有罪になる事実の提示は、国つまり検察官に責任があるという原則なのです。証明責任と言ってもよいでしょうが、検察官に「合理的疑いを超える程度まで証明する責任がある」ということを意味します。難しい議論をするつもりはありません。とにかく法律家は公知の事実とか、事実上推定される事実とか種々論じますが、最終的には「常識」でしかありません。前のコラムでも紹介しましたが、司法修習生の皆さんが信頼しえない結論を出すこともあるのです。皆さん、既に「国民の常識」に自信をもっておられますよね?

(2)   推定無罪は「疑わしいときは被告人の利益に」とも言い換えます。OJ.シンプソンは、刑事事件では疑問があっても、経験則に照らして「殺したね」とまで言えなかったので無罪になったのです。引き換え、民事裁判では双方が出してきた証拠、つまりその事実からOJ.シンプソンに分が悪いねという比較のうえでの相対評価なのです。つまり損害賠償を請求しているご遺族の提出された事実のほうに真実性があると陪審員が判断したということです。噛み砕き過ぎていると感じられる方は法律の入門書を読んでください。
 私のコラムでは、裁判における判断は専門教育を受けていなくとも出来るという最良の証明材料として、OJ.シンプソン事件を引き合いに出して説明してみました。

(3)   蛇足かもしれませんが、私は、優秀な弁護士とは、その証拠即ちその事実を見つけ出してくる「粘り」にあると以前から本コラムで書いております。事実認定能力などという特殊な能力を匂わせる弁護士を信用してはなりません。判断に資する材料・証拠を「種々の工夫をして集め」、それを相手方・裁判所に提出し、しかもそれを「分かるように主張することができる」という事実が大切なのです。
 今回で裁判員制度のコラムは終わりますが、「国民の常識は司法に適さない」と言われる元裁判官の方々の論評に呆れる私の気持ちを理解していただけるでしょうか?「素人のラフジャッジ」などという法律家は鼻持ちならぬエリート意識の固まりだと思います。

二   国民の司法参加こそ重要

国民の司法参加が不要という批判は、結論から言ってしまいますが、全て「お上」に任せてしまえばいいという流れになります。
 現在の裁判所の実態を暴露する本の一冊でもお読みになれば、とても許されない結論になるでしょう。日本も随分民主主義が育ってきました。しかし「絶望の裁判所」から読みとれることは民主国家であるなどと胸を張って言えない裁判所が現実だということなのです。
 上記事実は、行政に「えこひいき」をしているとしか理解しえない行政訴訟の認容率からでも直ちに分かることです。日弁連が出しております「自由と正義」(本年8月号)によっても「実質的な勝訴率となると(国から発表されている)グラフ2の数値(2012年は9.8%だそうです)から、さらに一段階低く数%になると推測される」(24頁)と書いております。行政訴訟を考えますと瀬木元裁判官が言われる「絶望の裁判所」がひしひしと伝わってくるのです。

三 まとめ

 司法権も権力行使の一部であるという事実は争いようがないのですから、やはり国民の監視下にあらねばなりません。行政権や立法権だけでなく、司法権の独占も恐ろしいのです。
 このように考えませんと、言いたいことも言えない戦前の国家制度に戻ることまで危惧されるのです。
 立派な裁判官の方には「我々は、あなたを支えるために一緒になって裁判を行います。安心してください」と伝えましょう。

 

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