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裁判員裁判(その4 国民の常識?)

カテゴリ : 
裁判員裁判
一 普通の人が裁判できるのか?
 
1 裁判員制度に対する根本の批判
(1)  種々議論がなされる今日、裁判員裁判を論じることは本当に難しい。
先ず裁判員裁判制度の批判の内容を整理する必要があります。制度として認められないという根本的批判と、現行制度の見直しで問題点を克服できる批判とに区分する必要があります。
(2)  制度として認められないという(民主主義の根幹を前提にする)批判については多少触れてきましたが、その詳細を検討しましょう。
 その一つが「裁判という法的判断は国民の常識でなしえない、司法の判断は国民の常識に馴染まない」という論点です。「国民の常識」と言われても漠然としていて意味不明です。しかし上記主張をされる方は元裁判官を始めとして意外に目につきます。司法権としての機能から法制度の在り方を論じられているのでしょう。
 
2 「法律の素人」でも有罪・無罪の判断はできる
 「国民の常識」は駄目だと言われているのですから、多分「裁判は専門教育を受けた者でないとできない」と言われているのでしょうね。
裁判官、別に弁護士でも同じですが、彼らに特別な能力があると認定されている訳ではありません。法律を熱心に勉強してきただけです。そもそも、被疑者が有罪か?無罪か?については(これを事実認定と言い、大仰に「事実認定能力」という人もいます)、特別な能力が要求される根拠はないのです。法廷に出される事実つまり証拠から考え、常識的に言って「犯罪をやっているのかどうか」の判断をするだけです。事実認定は経験則即ち常識です。特別教育など不要であり、常識を前提にし、示された事実から「当該犯罪をやったかどうか」を判断するものです。上記論者(元裁判官・弁護士等法曹以外に本論者はいないはず)は、常識以外の何か特殊能力を持っておいでなのですか?
 
 
二 「国民の常識」に関する私の経験
 
 旧陪審裁判の経験者の回答
 以前のコラムで「陪審裁判(旧陪審の証言と今後の課題)」という本を紹介しましたね。この本の中で旧陪審に関与された方々にアンケートを取った回答結果が記載(59頁)されております。

「陪審員の事実認定能力については、45件の回答中、『職業裁判官に比べて優れている』及び『遜色なし』とする回答が21件もあり、『職業裁判官に比べて劣っている』との回答(8件)を大きく上回っている」との結果が報告されております。

上記アンケートに応じられた方は元裁判官の方が圧倒的に多いのですが、上記8名の方に「劣っている」根拠を聞かねばなりません。実は、私も昔、重いテープレコーダーを持って旧陪審の裁判体験を聞きまわった経験があります。それ程多数の方からお聞きした訳ではありませんが、陪審員の「常識」を疑う人はおられませんでした。むしろ事前にきちんとした「裁判官説示」がなされるなら、事実認定に問題はないと述べておられました。つまり元裁判官の方がどのような「説示」をされたのか?お聞きしたい。説示こそ重要なのです。裁判官は、事前に裁判の手順や進行だけでなく、裁判に関する判断の仕方、つまり常識による判断だということを説明します。説示によって「常識」で判断できることを教えられるのです。
 
2 模擬陪審裁判で示された「国民の常識」
(1)   私は、国民の司法参加を実現するべく幾度も模擬陪審法廷を開いております。銀座ガスホールで行った時は私が被告人役を演じました。私の事務所の副所長が中学生でしたが、この模擬陪審法廷を見に来てくれました。被告人役の私が無罪になった際、彼がテレビ局からインタビューされるというハプニングもありました。
 
(2)  模擬陪審裁判の台本作りも幾度かやりました。判断しにくいように証拠に変化を加え、証言も曖昧になるよう工夫を加えました。有罪無罪が判断しにくいように工夫をしたのです。ある時、事実認定力を実験するためと称し、陪審員団を3種類作ったこともあります。つまり?元裁判官で現在弁護士をされているグループ、?市民と言われる一般の方のグループ、?司法修習生のグループの三グループです。
 
(3)  この三グループは別個に審理し、全く異なった判断をしました。
裁判官を経験された弁護士グループは文字通り有罪無罪半ばという結論(これも変)で、結局多数決で無罪でした。「市民」と言われる一般の方の陪審員団は争いもなく無罪でした。ところが驚いたことに司法修習生の陪審員団は反対が殆どなく、断定的に有罪なのです。
一般の方々は、説示に従い、無罪推定の原則を厳格に守られたのです。だから当然無罪になりました。司法修習生という、つまり法教育を受けた方の事実認定にこそ問題があったのです。しかし何故司法教育を受けている人たちが、このような判断をされるのでしょうか?事実認定に際して法律の知識が邪魔をするとしか言いようがありません。本当に不思議ですが、幾度か同じ経験をしました。その一つが、季刊刑事弁護51996125日号10頁に紹介されております。
以上により明らかなことは、寧ろ法の知識に邪魔をされない一般人のほうが、法律を一生の仕事としようと決意をされた司法修習生より優秀だと言う結論になります。上記の本では「裁判官の目」と「市民の目」では同じ事実も「違って見える」と論評していますが、さらに職業人の判断も信用ならないと言ってほしいものです。

 

  「国民の常識」という論点が如何に漠然としたものであり、且つ根拠も示しえない批判かということが明瞭に分かります。

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