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裁判員裁判(その1 元裁判官の出版本)

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裁判員裁判
一 「狂った裁判官」と言う本(幻冬舎新書)
 
1 裁判官の内情を描く

(1) 裁判官の実態を明らかにする本が、最近顕著に増加しています。特に裁判官が普通のサラリーマンと変わらず、しかも権力に弱い司法官僚であり、最高裁の司法行政に振り回される内幕を暴露する本が世間受けしているようです。

例えば、少し古いが「裁判官―お眠り私の魂」(朔立木著 光文社文庫)、新しい本では「裁判官が日本を滅ぼす」(門田隆将著 ワック出版)があり、今回問題にする「狂った裁判官」は同系列の本です。
小説ではありますが、実在の裁判官(多くが実名)を登場させる「法服の王国(上、下)」(黒木亮著 産経新聞出版)は面白かった。吹き荒れた東大闘争後、理念を追いかけた裁判官や司法修習生の実際の話、或いは私が弁護士になってからのことも思い出しました。殺人事件で刑事部担当部長として対峙した「当時の有名裁判官」に対する記述には感じ入りました。私の経験と合致したのです。私は、その裁判官が法廷において人として尊敬できない対応をされたことに対して、弁護士としてその指示には従いませんでした。裁判官を批判的内容で登場させながら、実名とは! 著者の度胸に驚きます。

(2) 同じ暴露本のつもりであろう「狂った裁判官」と言う本はカスです。読んで損をしました。「内容がむちゃくちゃ」と批判すると「価値感が違いますからね」という元エリート裁判官からの反論も予想できますので、実務家として失格と言う事実を示します。

168頁「裁判官は、司法試験、法科大学院、司法修習等を経た法律のプロですが、裁判員は法律の素人です。法律の素人が裁判所の構成メンバーとなるのは、日本では初めてです。戦前も戦後も、裁判所は法律のプロである裁判官だけで構成すると決まっています。」
上記の事実は虚偽です。

彼は、多分、心底では自分を勉強家であると思われているでしょうが、わが国で陪審裁判が行われていた事実すら勉強されていない事実に呆れます。わが国陪審法は、大正12年制定、昭和310月に施行、同184月に停止されております。

上記陪審制度は多くの欠陥があったと言われながらも、審理事件総数484件、うち無罪81件と言う結果を生んでいるのです。これらの事実は、多少権威のある本なら記載されている事実ですが、今後、当コラムでは「陪審裁判(旧陪審の証言と今後の課題)」(東京弁護士会編集 ぎょうせい出版)という書籍を参考にして紹介しましょう。
 
 「狂った裁判官」と言う本は矛盾だらけ

(1)  ひどい裁判官が多いという内情暴露はいいでしょう。だから「狂った裁判官」という表題で本を出版されたのでしょうから。

でも何故、現在運用されている裁判員制度を批判されるのでしょうか?「狂った裁判官」だけで裁判をしていいのか本気でお聞きしたい。
172頁「裁判員制度を作った動機として、よく裁判官は常識がないから裁判員を送り込んで常識のある裁判をするのがよいなどと説明されます。そうすると、裁判員制度は、法律はそっちのけにして、常識に基づく裁判をやろうというのでしょうか」(めちゃくちゃな論理)
173頁「結局、裁判員の入った裁判所は、何ら基準がなく、多数決で何でも出てくることになります。裁判の予測など、もちろんできません。めちゃくちゃ裁判の始まりです」
“君!国民にとって「狂った裁判官」が裁判するより、素人のほう がよっぽどましではないのですか?”

(2) 本コラムで、餓鬼みたいな低次元の論争をするつもりはありません。

もっとも彼もまともなことも言っており、それこそが根幹なのです。
175頁「司法とは、単に、裁判をやっていればよいのではなく、立法府や行政府の権限の乱用により侵害された国民の人権を回復するという重要な役割があります。その役割を実行するためには、民意からは一定の距離を保って法令のみに基づいて判断する裁判官が是非とも必要となります」
彼は、まともなことも言っておりながら、彼自ら司法行政に負けたというのです。162 頁「浅生所長のした裁判干渉もまたご多聞に漏れず、誰もいない横浜地裁所長室で 行われました」と言うのです。
“君!司法行政に屈する裁判官の姿とは君なのですか。”
こんな裁判官に国民の権利が守れるでしょうか。そもそも司法の最大の役目は、彼の言うとおり、立法府や行政府による権限の乱用から国民を守るということです。これが民主主義の根幹なのです。
 
二 裁判員裁判の理念
 
    「狂った裁判官」を書かれたエリート元裁判官も指摘されている通り、立法府や行政府の権限の乱用により侵害される国民の権利を守ることこそが司法の独立の根幹なのです。だから素人である国民が参加する司法制度こそ、司法官僚の独裁から解き放なたれる司法制度設計なのです。司法行政にひれ伏す裁判官よりも、自由な立場の国民が司法の場に参加してこそ上記権限の乱用を防止し、それ故に司法の独立が守られます。立派な裁判官もおられますが、その場合でも裁判の運用等の全てを素人即ち国民の目にさらすことによって、裁判官に“狂わない”でもやっていける環境を作る、逆に、裁判官が「国民に守られている」という自意識をもたせることに意味があるのです。

 もっともこれだけが裁判員裁判の趣旨ではありません。暫くは本コラムで、私の経験について書きたいと思います。 

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