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自救行為或いは自力救済(その5 戦争は自力救済の極致)

一 国際司法裁判所
 
1 国際捕鯨取締条約
 
(1)  自力救済の最終稿を書こうとしていたところ、「調査捕鯨で日本が敗訴」の報道がありました(本原稿は41日着手)。結論は別にして、国と国の紛争も「裁判でけりをつけられる」形が定着するということは、「経済的に割のよい一つの解決手段」を選択したという意味において評価すべきことだと思われます。裁判でけりをつけるということは、我々のように法による解決を専門職業とする弁護士にとっては当たり前のことですが、国家間の紛争では、いまだ常識にはなっておりません。自力救済論争の根本はここにあります。
今回のテーマである国の自力救済から話がとびますが、「鯨食」は日本の伝統文化だという日本の反論にも違和感があります。だって鯨を食べた記憶ははるか昔のことで、貧しかったためだけに食した記憶です。裁判では他国も納得する他の論点に焦点を絞るべきだったように思います。弁護士に求められる資質である「粘り」が、今回の司法裁判では全く感じられません。前々回のコラム、3「子の奪い合い」を読んでください。私が代理人になりましょうかと申出したい位です。
 
(2)  話を戻します。国際司法裁判所の登場とは何とラッキーなのでしょうか。今回のテーマである「自力救済」に関する究極の論点、「国家間の紛争解決」の仕組みが説明しやすくなったと喜んでおります。そういえば前回のテーマである「不動産は放棄できない」という題材においても新たな論点が出てきました。現在、私は、裁判所の依頼を受けて極度に珍しい破産管財業務を行っております。都下のある地域において、先の戦争直後から放置されたままの遺産を処理しております。主としては当該地域に存する不動産の整理ですが、事務所を挙げて取り組んでおります。何と「不動産は放棄できない」という論点に新たに付加しなければならない発見もありました。早く付加したいのですが、来年度まで書けません。それまでこの破産管財業務は終わらないからです。
国際司法裁判所のおかげで自力救済の掲載も一回増えました。
 
 2 戦争は典型的な自力救済
 
(1)   察しの良い方は既にお分かりでしょうが、国と国が争う戦争はまさしく「自力救済」以外の何ものでもないのです。裁判所の利用などあり得ない世界なのですから、救済手段は、究極的には暴力、つまり殺し合い、そして戦争と言う人類にとって最も効率の悪い方法に発展する可能性を有しております。最近問題になっている尖閣列島を考えなくても戦争は自力救済そのものなのです。
 
(2)  我が国の法学界は自力救済を毛嫌いしております。学者の先生方の解説書を読みまくりましたが、自力救済そのものを法の世界の異端児として放逐したがっていることがよく分かります。「不動産の放棄」でも同じことを感じましたが、「自力救済」についても全く同じです。
偉い学者の先生方も半端だと、しみじみ考えざるをえません。私にとって、学者の偉い先生方も、私の悩みと、それ程差がないことに気が付いたということが、本コラムを書き始めた最大の収穫でしょうか。自力救済規定を詳細に定めるドイツの国とは大分様相を異にしており、学者の先生方の論調も各人で違い、その主張にも深さがありません。この辺は次回のコラムに譲ります。
 
二 私が何故「自力救済」に関心を持つのか?
 
1 私の学生時代
 
(1)  私が「自力救済」について書こうと思い至った理由は、そろそろ法律の枠からはみ出た自分の思考過程・価値観を書いてもいいのではないかと思い始めたことにあります。
 
(2)  私は高校二年生の夏、60年安保で亡くなった樺みち子著「人知れず微笑まん」を読んで震えました。両親に、どうしても大学つまり都会に出てみたい、家業は弟に譲るからと大学進学を頼みました。我が故郷は、狭い町を外れると田が広がる田園地帯ですが、我が家は不在地主の家であったものの、当時の田舎並みに経済は厳しく、不遇の時代を迎えておりました。でも両親は進学させてくれました。
 
(3)  大学は一年生の時には多少授業に出席しましたが、二年生からは自慢ではありませんが、語学少々とラクビー少々の授業以外一度も出ておりません。当時の私の雰囲気をお話しするいい題材があります。
法律を売りにする大学に入ったのですが、法律については教えてもらったとは思っておりません。さすがに一年目で憲法の授業があり、当初は出席しましたが、高校レベルの講義でしかありませんでした。期末試験で「国民の義務について述べよ」と出題されました。私は十分に国民の三大義務を述べた後、当時の私の信念であったスローガンである「国民の生活の実力防衛」義務についても付加して論じました。驚いたことに結果は不可でした。
弁護士になった現在も、私の解答で出題の意図は十分こなしていたと考えております。学生時代、既に大学教授が採点しているとは思っておりませんでしたが、その狭い思考態度に呆れ、学問を標榜するならもっと自由であるべきだと思いました。
私の反省点は、憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」を引用したものの、憲法上の根拠づけの展開が不十分だったということです。幸福追求権(憲法第13条)、国民主権(前文及び第1条)、基本的人権の本質(第97条)まで歴史・沿革を述べ、究極の自力救済義務までに敷衍させるべきだったということです。
 
2 自力救済的思考
 
  私は法律の勉強はしませんでしたが、司法試験受験生と同じくらい本を読み、自由に考  え、学んだつもりです。
いずれにしましても、学生時代は自力救済を是とする「やんちゃな学生」だったのです。
     続きは次回にします。
 
 

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