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書評 「黒い巨塔 最高裁判所」 瀬木比呂志著
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- 書評
1 ある上場企業の役員会に出席した際、公認会計士の先生から、先月出版された「黒い巨塔」という本の書評を求められました。先生には、前回のコラム「サピエンス全史」の書評をご覧いただいたのでしょうか。書評を求められたのは初めての経験です。
今回のコラムの題材が決まりました。
2 瀬木氏の著作については、2014年7月、当コラム「裁判員裁判」の項目、2回目で「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を紹介したことがあります。「黒い巨塔 最高裁判所」という題を見ただけで同じような内容が書かれていることはすぐに分かります。
弁護士をやっておりますと、最高裁判所が、どうしても行政寄りに判断することは直ぐに分かることです。高校時代、司法は、三権分立の一端を担い、行政や立法をチェックする機関と教わりました。しかし、社会状況の変動に及ぶような判断は避けたいに決まっています。もちろん、瀬木氏の著作は、そのような常識を更に逸脱した最高裁判所の実態について、紹介というよりも暴露です。その内容はあまりにも凄まじい。
行政や時の権力者におもねる裁判官、私たちの言葉でいう「ヒラメ裁判官」(瀬木氏からは「ヒラメではない。中途半端なことを言うな」と怒られるでしょうが)のいやらしさを驚くほどの事実を示して、苦悩する若い裁判官と対比させて書いておられます。
公認会計士のような畑違いの先生に、このような最高裁判所の側面を紹介できることは面白いことです。
3 でも瀬木氏は、少し気を使いすぎです。最初に「フイクション」だと断っているのに、あとがきで再度同じことを繰り返しておられます。「この作品は、私の一八年ぶりの創作である」と断られただけでなく、これを「異例のあとがき」だと付け加えておられます。
では小説、或はフイクションそのものと言えるのでしょうか?
「黒い巨塔」が小説だと主張されるなら、私は、お読みになる方に対して110頁迄の最初のほうは、辛い読書体験になるとお話しせざるを得ません。主人公の活躍もなく、最高裁長官や最高裁事務総局の面々を登場させて紹介のような形で、どうしようもない人物の話がえんえんと続きます。ここには物語性など全くなく、飽きてしまうのです。
この本を読まれる方には、読み方に工夫してくださいと申し上げざるを得ないのです。
4 後半は、瀬木氏と同じような苦労をされたと判断される主人公、つまり事務総局民事局に勤める主人公が、主人公の親友である裁判官と共に悩み、その妹との不思議な関係が続き、更にはトバモリーと名付けられた猫が登場します。
小説なら、前半との統一性を工夫されないと面白くありません。苦言めいた読書評になってしまいますが、もう一つ。
瀬木氏ではなく、編集者かもしれませんが、単語や横文字、更には専門用語の分かりやすい表現に工夫してほしいのです。例えば、瀬木氏はいろんなところで「韜晦」なる表現を使われますが、これは一般的に難解です。「フイクション」と言いながら、読者対象者を我々法律専門家に絞っておられると判断せざるを得ないのです。
でも我々法律専門家は、前回の「絶望の裁判所」以上でないと満足しません(これ以上書きませんが、専門家は厳しいですよ)。
5 瀬木氏は、我が事務所副所長が愛読する民事保全法(判例タイムズ社発行)の著者であることからも分かる通り、民事訴訟実務の大家であります。
この民事保全法の「著者略歴及び著者目録」(第三版776頁)を見ると、何と実名による著作と、関根牧彦という筆者名による著作を列挙されています。学術書にこのような著作集をあげられる実務家は珍しい。「映画館の妖精」なるフアンタジー小説も書いておられるのですね。これまで、私は幻想小説を読む暇がありませんでしたが、この読書評を書いたからには読まざるをえないでしょう。
6 この本を読んで、今、一番大事なことだと思うことがあります。
瀬木氏は、最高裁長官による強烈な思想統制、それを最高裁事務総局主宰の裁判官協議会に始まり、裁判官に対する任地への配置転換という、今日言われる「ブラック企業」以上の凄まじさで後半を展開します。そしてその題材を原発訴訟に求めます。瀬木氏は原発推進派や反対派という立場でなく、裁判所の機能を「当該原発につきシビィアアクシデントの可能性がほぼありえず、ほぼ確実に安全であるといえるか否か」(ママ)にあるとします。裁判所は客観的な第三者として、原発の安全性を厳格に審査し、社会におけるフェイルセイフ(危険制御)の機能を果たすのが本来の司法の役割としております(156頁)。
昔の仲間から、経産省前テント広場の原発反対闘争、座り込み運動に勧誘されても応じえなかった主要な理由は瀬木氏と変わりません。
7 ここで申し上げたいことがあります。今後の司法の行方を見てもらいたいのです。その材料として「逆襲弁護士河合弘之」大下英治著(祥伝社文庫)の第七章「身命を賭して徹底抗戦」だけでも読んでいただくと(その前の章の、自慢話は省きましょう)、現状認識に便利です。何と言いましても、河合氏は、原発反対訴訟の元締めです。今後の裁判所の行方ですが、潮目が少し変わってきたことを強調させてください。連戦連敗だった原発運転差し止め訴訟につき、裁判所が大飯原発及び高浜原発の運転差し止めを言い渡す事例が出てきたのです。
今後の裁判所の行方を見定めるためにも注視する必要があります。
今回のコラムの題材が決まりました。
2 瀬木氏の著作については、2014年7月、当コラム「裁判員裁判」の項目、2回目で「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を紹介したことがあります。「黒い巨塔 最高裁判所」という題を見ただけで同じような内容が書かれていることはすぐに分かります。
弁護士をやっておりますと、最高裁判所が、どうしても行政寄りに判断することは直ぐに分かることです。高校時代、司法は、三権分立の一端を担い、行政や立法をチェックする機関と教わりました。しかし、社会状況の変動に及ぶような判断は避けたいに決まっています。もちろん、瀬木氏の著作は、そのような常識を更に逸脱した最高裁判所の実態について、紹介というよりも暴露です。その内容はあまりにも凄まじい。
行政や時の権力者におもねる裁判官、私たちの言葉でいう「ヒラメ裁判官」(瀬木氏からは「ヒラメではない。中途半端なことを言うな」と怒られるでしょうが)のいやらしさを驚くほどの事実を示して、苦悩する若い裁判官と対比させて書いておられます。
公認会計士のような畑違いの先生に、このような最高裁判所の側面を紹介できることは面白いことです。
3 でも瀬木氏は、少し気を使いすぎです。最初に「フイクション」だと断っているのに、あとがきで再度同じことを繰り返しておられます。「この作品は、私の一八年ぶりの創作である」と断られただけでなく、これを「異例のあとがき」だと付け加えておられます。
では小説、或はフイクションそのものと言えるのでしょうか?
「黒い巨塔」が小説だと主張されるなら、私は、お読みになる方に対して110頁迄の最初のほうは、辛い読書体験になるとお話しせざるを得ません。主人公の活躍もなく、最高裁長官や最高裁事務総局の面々を登場させて紹介のような形で、どうしようもない人物の話がえんえんと続きます。ここには物語性など全くなく、飽きてしまうのです。
この本を読まれる方には、読み方に工夫してくださいと申し上げざるを得ないのです。
4 後半は、瀬木氏と同じような苦労をされたと判断される主人公、つまり事務総局民事局に勤める主人公が、主人公の親友である裁判官と共に悩み、その妹との不思議な関係が続き、更にはトバモリーと名付けられた猫が登場します。
小説なら、前半との統一性を工夫されないと面白くありません。苦言めいた読書評になってしまいますが、もう一つ。
瀬木氏ではなく、編集者かもしれませんが、単語や横文字、更には専門用語の分かりやすい表現に工夫してほしいのです。例えば、瀬木氏はいろんなところで「韜晦」なる表現を使われますが、これは一般的に難解です。「フイクション」と言いながら、読者対象者を我々法律専門家に絞っておられると判断せざるを得ないのです。
でも我々法律専門家は、前回の「絶望の裁判所」以上でないと満足しません(これ以上書きませんが、専門家は厳しいですよ)。
5 瀬木氏は、我が事務所副所長が愛読する民事保全法(判例タイムズ社発行)の著者であることからも分かる通り、民事訴訟実務の大家であります。
この民事保全法の「著者略歴及び著者目録」(第三版776頁)を見ると、何と実名による著作と、関根牧彦という筆者名による著作を列挙されています。学術書にこのような著作集をあげられる実務家は珍しい。「映画館の妖精」なるフアンタジー小説も書いておられるのですね。これまで、私は幻想小説を読む暇がありませんでしたが、この読書評を書いたからには読まざるをえないでしょう。
6 この本を読んで、今、一番大事なことだと思うことがあります。
瀬木氏は、最高裁長官による強烈な思想統制、それを最高裁事務総局主宰の裁判官協議会に始まり、裁判官に対する任地への配置転換という、今日言われる「ブラック企業」以上の凄まじさで後半を展開します。そしてその題材を原発訴訟に求めます。瀬木氏は原発推進派や反対派という立場でなく、裁判所の機能を「当該原発につきシビィアアクシデントの可能性がほぼありえず、ほぼ確実に安全であるといえるか否か」(ママ)にあるとします。裁判所は客観的な第三者として、原発の安全性を厳格に審査し、社会におけるフェイルセイフ(危険制御)の機能を果たすのが本来の司法の役割としております(156頁)。
昔の仲間から、経産省前テント広場の原発反対闘争、座り込み運動に勧誘されても応じえなかった主要な理由は瀬木氏と変わりません。
7 ここで申し上げたいことがあります。今後の司法の行方を見てもらいたいのです。その材料として「逆襲弁護士河合弘之」大下英治著(祥伝社文庫)の第七章「身命を賭して徹底抗戦」だけでも読んでいただくと(その前の章の、自慢話は省きましょう)、現状認識に便利です。何と言いましても、河合氏は、原発反対訴訟の元締めです。今後の裁判所の行方ですが、潮目が少し変わってきたことを強調させてください。連戦連敗だった原発運転差し止め訴訟につき、裁判所が大飯原発及び高浜原発の運転差し止めを言い渡す事例が出てきたのです。
今後の裁判所の行方を見定めるためにも注視する必要があります。